■ココ・シャネルが史上初めてブランドマーケティングを構築した人
シャネル 最強ブランドの秘密 (朝日新書 100) 山田 登世子 朝日新聞社 2008-03-13 売り上げランキング : 6284 Amazonで詳しく見る by G-Tools |
「シャネル-最強ブランドの秘密」をご紹介したいと思います。まだ出版され
たばかりでお値段が700円。これは安すぎ。シャネルが1人でどうやって
今の地位まで高めてきたかが、シャネルの有名な語録とビジネスとファッ
ションの観点から、分かりやすく述べられ、2日程度で読みきれる 一冊です。
著者はブランド論で有名な山田登世子氏。
<目次>
第1章 贅沢革命1―アンチ・ゴージャス |
ココシャネルのモード哲学とビジネスセンスが、この本には書かれてい
ますが、私は、マーケティング論の切り口で説明したいと思います。
マーケティングがさかんに研究されはじめたのは、1950年くらいから。
ブランド論に関しては1970年くらいからです。そのはるか数十年前、
ココ・シャネルは、それを実行していた人間なのです。それがすごい。
「モード、それはわたしだ」とココ・シャネルが言った 有名な一言。なぜ、
そう言い切れるのかが、この本を読んだら分かるんです。簡単に
言えば、ブランドイメージがシャネルのアイテムではなく、 シャネル
自身に持ってきたことが理由。
そこに行き着くまでの彼女の ニーズの発見、市場調査
及びターゲットの選択、価格戦略、イメージ戦略は今現在でも、
セオリーとして通ります。彼女はモードの革命児で
あると同時に、史上初の女性企業家でありビジネスウーマンなの
です。そして、ブランド戦略を世界で初めて実行した天才です。
少し内容を紹介 しつつ、「モード、それはわたしだ」に行きついた
プロセスを 見てみましょう。
■高価で金ぴか≠ファッション 贅沢という意味を変えたシャネル
(新しい市場の開拓と分析)
今から約100年前、当時のフランスは、特権階級のご婦人方がひたすら
ゴージャスぶりを人に見せびらかす時代。高級服はほとんどがオートク
チュール (高級オーダーメイド)でした。宝石をジャラジャラと体にくっ付け
ては 「オホホ」と貴婦人ぶっていたわけです。
それを見ていた、ココ・シャネルは婦人方のファッションスタイルに変よ!
「NO」を突きつけたのです。ココ・シャネルが成功の原点は、この貴婦人
たちの ゴテゴテファッションへの否定と、彼女の新しいファッションスタイル
の市場開拓でした。
その市場とは何か?一概に一言ではいえませんが、当時の「メンズファッ
ション」を持ってきたことです。マスキュリンというとパンツスーツで有名な
イヴサンローランが出てきますが、実はココ・シャネルこそ、女が動きやすい
ファッションを確立し、市場を開拓したモードの革命児だったのです。
その後、世界中に流行るチェーンのついたショルダーバッグもメンズから
持って きたものです。リップスティックも、彼女が発明。女性が動き回っ
てもお化粧ができるようにとの利便性、潜在市場を開拓したのです。
まだ、クチュリエ(高級仕立人)としての地位を確立していなかったころ、シャ
ネルは、男性のニットを着たりしていました。しかも生地はジャージー。後に
シャネルの名を絶対的なものにした編み物の種類(決して贅沢なものでは
ない)です。これは伸縮性富んでいて動きやすい。だから、当時紳士がスポ
ーツをするのに適していた。そして、何よりシャネル自身その生地が好きで
した。
それは動き回れるから。コルセットをはめて、装飾という名の無駄な衣装
を、汗たらしながら着ている貴婦人を見て、これは絶対おかしい、女は
もっと動く自由を欲しているはず・・・こう思ったわけです。もう彼女の仮説
及びマーケティングリサーチはここで構築されているわけですね。
その後、ジャージー生地をつくる機械とアトリエを手に入れたシャネルは、
帽子屋を始めます。ファッション誌にもちょこっと掲載される。シャネルは
装飾華やかでゴージャスの逆、抑制を出し「贅沢」を隠すことに集中して
いきます。
イギリス人の愛人がいたこと、彼女の出生が孤児院(修道院)であること
から、機能的でアンチゴージャス、色はベージュか黒。そしてダンディズムが
入っています。当時コートにも毛皮や宝石が付いていたようですが、
シャネルはあえて裏地に毛皮をつけるなど、アイロニックたっぷりに、
観てくれゴージャスを排除しました。お洒落は我慢と言う言葉がありますが、
彼女の行っていることこそ、それに値するファッション、シックの醍醐味
です。
シャネル語録の1つを紹介しましょう。「贅沢とは昔から変わらず
続いているものである」それは、修道院での田舎ぐらし、美しいのどかな
風景、ジャージー生地の服、すべて彼女の人生経験そのものが「贅沢」
という定義だった。ゆえに、都会の見せ掛けの美に対し、徹底して批判
し逆のベクトルを取った。何カラットもする宝石に対し、シャネルはイミテー
ションジュエリーを販売。当時の特権階級=本物の価値がわかってい
ないアホだと考えていたシャネルのアイテム作りは、徹底して逆でした。
その後、ウェストミンスター公爵の恋人になるなど、資金面でも問題
なかったシャネルは、彼女をモードの革命児と言わしめるまでに至った
一番大切な決断をします。それは、サロン市場(特権階級の富裕層)
をターゲットにするか、ストリート市場(一般階級の人々、人数的には
こちらが多い、つまりマスマーケットである)どちらに売っていくか。
もちろん、彼女はストリート市場にします。
■マス・マーケティングを世界で初めて実施し成功する
(マーケットセグメンテーションとターゲッティング)
まずは第一次世界大戦後のパリの社会環境は2分化していました。
特権階級の成金以外の大衆は物的窮乏でした。特権階級以外の
大衆はシンプルで質素な確かな服が欲しかった。「モード」は、一部の
特権階級から大衆へ移行しようとしていたのです。それをシャネルは
見逃さなかった。このマスマーケットのニーズを読みぬいた力こそが、
彼女をの名前を世界に知らしめたことにつながります。
シャネルの言葉から購買にいたる要因を抽出すると、当時の大衆の
欲しい服は、「シンプル」「着心地の良さ」「清潔」の3要因(因子)である
ことがわかります。戦争が終わり「モード」というものが、芸術的かつ
ゴージャスから「機能性」と「シック」なものへとシフトしたのです。そして
1919年から大衆のストリート市場(マスマーケット)で売れに売れます。
もう1つシャネルのマーケティング戦略がここで花開きます。それは
今で言えば、著作権、知的財産権を侵害すること大歓迎したこと。
ええ!と思うでしょ。今なら知的財産権こそがブランドを守る盾みたい
なものですから信じられません。
しかし、1900年代初旬のマーケットなんて、広すぎるしニーズだらけ
なわけで、シャネルがそのニーズを満たすファッションを世に出すと、
皆たちまち買う→あれが売れるんだな、とあちこちでデザインを盗む
→逆にシャネルの名前が浸透していく→結果的にシャネルの広告
及び販売促進が勝手に行われる→シャネル「ウマー」なわけです。
特に、シャネルは、アメリカ市場では大儲けしようです。今アジア
諸国で起こっているコピー商品は、当時のアメリカでは大流行でした。
また、一方で合法的なアメリカ式ビジネスとしてレディ・メイド(既製服
産業)が誕生し、アメリカのバイヤーがパリにわざわざ来て既製服を
大量に仕入れていく。コピーと既製服によって、あっという間にシャネル
の名前は世界に拡がります。この時1930年。ほとんどシャネルが作った
ものではない、「ココ・シャネル」のブランドを着た婦人がたくさん現れた
ようです。彼女は徹してビジネス志向で行きます。こんな言葉を残して
います。
モードに著作権の必要などありはしない。モードは決して自分の独創性
などではないのだから。独創性でないからこそ、それは広く大衆にうけて
広まっていく-これがシャネルの信条。つまり、有名なシャネル語録の1つ
である、「モードは芸術ではない。商売だ」「コピーされてこそ本物よ」
の言葉に帰結するのです。全ては広告販売戦略の成果。このころ
になると、貴婦人たちもシャネルの偽物の服を着てパーティーに出て
いたことは言うまでもないでしょう。大衆の勝ちです。これぞマス・マーケ
ティングの強さ。貴族→大衆ではなく時代は大衆→貴族だったんです。
■シャネルの生産戦略 (ターゲットへ働きかけるマーケティングの4P)
シャネルは徹底的に無駄な装飾を消し、マスマーケットのニーズにあった
「黒」を取り入れました。それをひたすら大量生産、大量販売。誰が着ても
浮かない、かつ機能的で着心地のよい究極のシック、「誰にでも似合う
服」こそが当時の大衆のツボだったわけです。それをアメリカでどんどん
売っていきました。ファッション誌ヴォーグでは、当時のココ・シャネルの
スーツを、「これはシャネルという名のフォードだ」と称えました。
フォードは当時、アメリカ市場でシャネル同様、マスマーケットで驚異的
な拡がりを見せていた自動車企業。1930年代は、まだまだニーズだらけ。
マスマーケットに働きかけた人間こそが勝者なのです。
■シャネルという「ネームバリュー」の誕生1(商品の2重底)
(ブランド戦略の本格的なスタート)
シャネルのアイテムは、既製品及び、偽物が大量に拡がったことは、前
に述べました。そうすると、シャネルのお手製の価値まで下がってしまう
のではないか、現代のファッションブランド業界ではこう考えるはずです。
しかし、シャネルはきちんとそれに対処していました。
それは、シャネルの本物のアイテムは、完全には真似ができないように
していたのです。つくるのに難しい最高級の生地しか使っていなかった。
本物と偽物のクオリティの差が、皆にすぐわかるように生産していたの
です。これが商品の2重底。昔だからできる技ですね。偽物を着ている
女性は、いつかは本物を・・・という憧れの思いがあったのでしょう。それが
また本物のシャネルの価値をあげるのです。
さらに、したたかなのは、シャネルがつくるイミテーションジュエリーなどの
商品、原価は安いが、徹して高値に設定しました。ラグジュアリー
ブランドは値下げをしてはならないという、現在でセオリーとなっている
価格戦略を彼女は1人で生み出しました。完全なるマーケターです。
またシャネルの本物のアイテムは少量生産。大量生産があって少量
生産を行うことで、シャネルの本物の価値をどんどんあげていく心理学的
効果を与えていた。彼女は消費者行動の心理をもう知っていたのです。
■シャネルという「ネームバリュー」の誕生2
(ブランドとは伝統ではなくシャネル自身)
当時、ココ・シャネルが台頭してくるより前から、パリではルイヴィトンと
エルメスが確固たる地位を築いていました。ヴィトンは、時の帝室御
用達であり、エルメスは貴族のためにひたすらハンドメイドの馬蹄を
生産してました。これらは、典型的なメゾンブランドとしてのエリート性、
信用性、伝統、高級感があるなど付加価値となって後ろ盾になって
いたのです。
しかし、シャネルは「無」です。なんたって修道院出の孤児でしたから。
じゃあ、なぜここまで驚異的なモードの女王となれたか。それは、
シャネルというブランドの後ろ盾をシャネル本人に担ってきたからです。
これこそが、デザイナーズブランド(クジュリエ)としての「ネームバリュー
」の誕生です。これは貴族の名前でもなんでもありません。
■シャネルという「ネームバリュー」の誕生3(メディア戦略)
シャネルは貴族を後ろ盾にもたず、ひたすら自分の名声を高めて
いきました。またその努力を惜しまなかった。メディアを巧みに使いました。
その結果、口から口へ、時代から時代へシャネルの名声はパリ、アメリカ
に拡がりました。これが「生きた伝説」というものです。彼女はマーケティング
がない1930年代に、もうメディア戦略を含む新しいプロモーション戦略を
行っていたのです。
一連の活動により、19世紀まで絶対的存在だった「伝統」という価値観を
シャネルは「有名性」に変えた。伝統、歴史より話題性なのです。それが
大衆から貴族にいたるまで新鮮だった。その結果、シャネルの一挙手一
投足に、大衆は注目した。
ヴォーグ、ハーパース・バザー、リトル・ブラックドレスなどの高級ファッション
誌にも掲載されていましたが、彼女は総数100万部売れる大衆誌にも
喜んで掲載を承諾した。露出ですね。彼女はシャネルスーツを着て、
ベストドレッサーになって、モデルにもなって、恋話の標的にもなって、
まさに大衆文化の文明開化です。シャネルの広告塔はシャネル自身なん
です。彼女が髪型を変えると、皆が真似をする現象まで起きました。
シャネルの名前が不滅になった1930年代、写真という新しいツールが
流行だしました。これを彼女は見逃さなかった。徹底して本人の写真
を撮らせました。 その1つの有名な1枚の写真が「シャネルの真実」の
表紙になっています。
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出生、学歴、地位、そんなの関係ないんです。シャネル自身が無からシャネル
というブランド品をラグジュアリー化したのです。
■「モード、それはわたしだ」ブランド「シャネル」=ココ・シャネル
ここまで読まれた方は、もうお分かりだと思います。「モード、それはわたしだ」
と言い放った一言こそ、これまでの一連の巧みなブランドマーケティング戦略
の結果なんです。シャネル自身が皆の憧れ、伝説、カリスマになったことで、
シャネル自身がモードになったのです。僕は目から鱗でした。
既存のマーケティング理論である、市場調査によるニーズの掘り起こし、
マーケットセグメンテーション、ターゲットを決める、4P理論(製品戦略、
価格戦略、販売促進、流通戦略)、ブランド戦略、特にメディア戦略と、価格
戦略に関しては脱帽。
長くなったので、この辺で。ココ・シャネルはマーケティングの生みの親と
いってもいいのではないか、と思います。しかも、その戦略は現代でも通用する
ものもある。メンズファッションをレディースに落とし込むという発想は、
当時としては誰も思いつかなかったでしょう。シャネルのシャネルに
よる女のためのモード、ブランド戦略は、100年経った今でも朽ち果てるものでは
ないと思います。
多少内容を端折ったところがあるので、ぜひぜひ、この一冊読んでみてくだ
さい。山田登世子氏の書き方が秀逸なのも注目に値します。