■男社会、戦争に翻弄され開放されてきた女性のファッション100年間
ウィメンズウェア100 年史 (P-Vine Books)
以前ご紹介した、『メンズウェア100年史』のウィメンズ版がついに登場。ぜひ『メンズウェア100年史』とともに一緒に持っておくことをオススメしたいと思います。というのも、さすがウィメンズというべきかボリュームもすごいのと、編集力に脱帽。
メンズウェアの時よりも発刊が後ですから最近のことまでが書かれています。
エドワード7世の時代、上層階級の1部の貴婦人がコルセットとともに着用していた豪華絢爛なドレスから、プレタポルテ、アート、ファストファッション、セックス・アンド・ザ・シティ、ゴスロリ、レディ・ガガまでこの1冊に大量の写真とともに収まっています。メンズウェアのときと同じくプラスチックカバー仕様。ファッションの変遷が分かる本、興味のある方はもちろん、日頃あまり女性ファッションを追わない人こそ読んでもらいたい内容。
<目次>
1901-1959
ハイソサエティー
ボヘミアン
ユニフォーミティー
アマゾン
クチュリエ
スター
パトリオット
ニュールック
1960-
ユースクウェーク
デニム・アンド・スポーツ
アウトサイダー
デザイナー:ミニマル
デザイナー:カラー
デザイナー:コンセプト
デザイナー:ヒストリーアンドヘリテージ
ファッションアンドフェイム
◆『ウィメンズウェア100年史』が言いたいこと
ボリュームがすごいので、本記事では一部紹介させて頂きます。あとは、ぜひ読んで頂きたいと思います。
著者のキャリー・ブラックマン氏は、セントラルセントマーチンズ校で教鞭を取っている女性ファション史家です。彼女いわく「帝国時代や植民地支配の終焉、政治的イデオロギーが引き起こした数々の革命、ふたつの世界大戦、経済恐慌や環境災害、さまざま芸術家運動、デザイン刷新、デジタル時代の到来。21世紀までに起こったこうした出来事のすべてが、現代生活や現代ファッションの在り方に影響を及ぼしている。」だと。
噛み砕いて言えば、20世紀初頭にはごく限られた上流階級のオートクチュール。時代は変わり、既製服が巷に溢れ、それがファッション産業の中心になる。さらに、現在ではファストファッション、PCでマウスをクリックするだけでOK。
ランウェイショーは、Ustreamで誰でも観れる。「街中の最新ファッション事情は、デジタル情報化の波によって塗り替えられた。」と。
ブルジョワ的なものの破壊、前衛デザイナー、クチュリエの到来(ココ・シャネルなど)、イット・ガール(マリリンモンローなど)、サブカルチャー(ヴィヴィアン・ウエストウッドなど)の影響と、ブドウの房(クラスター)のように枝分かれしていく系統。SNSの台頭、いまや誰もがファッションの主役、これがウィメンズウェア100年史。
◆メンズウェアとウィメンズウェアの深い関係性を感じる
ウィメンズこそがファッションの華、主役、そんなイメージがあるわけですが、本書籍を読むと、メンズウェア、男性社会に影響を受けたり翻弄されて、解放されていく流れが感じられます。
まずわかりやすいのが、「ココシャネル」。メンズウェアをウィメンズウェアに取り入れて、機能的で動きやすいファッションスタイルを提案した彼女は、過度に豪華絢爛な重い衣装+コルセット固定から解放し、女性の心も解放したと。ビジネスとしても、初めてブランドマーケティングを確立した人とも言われています。「男性にモテるためにお洒落をするべき」という信念を持っていた反面、そのソースがメンズウェアだった、モードとは自分自身という表現はなかなか興味深いお話。
もう1つは、第二次世界大戦前後です。「パトリオット(愛国者)」という部で掲載されている写真と説明を見ると、「軍事活動用の女性向きウール製品」、「軍需工場の女子工員のワークウェア」「婦人農耕部隊の少女たち」でその当時の女性の暮らしぶりがほかの時代と違うことを感じます。L-85条例(天然素材を規制、服の配給制)が施行されたことから一気に地味でワークウェア風に。
タンガリーパンツ、つなぎスタイルのコート、厚手のオーバーコート、ゴム製の防水コートなど・・・実は、ジュンヤワタナベマンの2012S/S、2012A/Wがこの辺に近い感じ。サルヴァトーレフェラガモが靴として、有名になった1つでコルクのウェッジソールがありますが、戦争中に物資が足りないことからセロファンを編んでできているものもあります。
こういった質素倹約の方向性もあれば、国威発揚のためにアメリカ陸軍婦人部隊の制服を着たモデルが着ている男性スタイルを参考にした軍服、スーツ、ヒトラー青年隊の写真もあります。
男社会と戦争から、女性の社会進出が進み、映画ファン、準拠集団から自己表現に変わるという様々な心理的変化が女性のファッションを変えてきたと言えるのではないでしょうか。
ここからは、私の勉強も含め、枝分かれしていく女性ファッションの歴史の変遷を紐解いてみることにします。なげーよ!とお叱りを受ける前に、100秒で振り返るロンドンファッション100年史のフィルムもあるので紹介しておきます。
◆1901-1959
上流階級:ファッションは財力と身分を誇示するためのもの
1900年代初頭は、エドワード7世の時代。いわゆるロイヤルファッション。王室、皇室がファッションのメインでした。ダブルフロックスーツをあえてシングルジャケット風に着用したりして、遊びを加えていたエドワード7世。これがカジュアルの始まりという説があります。
一方、女性はまだまだ贔屓にしている仕立て人(クチュリエ)を使い法外な価格でどれだけ豪華なドレスを買うかという点に注力。すべてにおいて豪華絢爛。頭の先からつま先まで、衣装に財力と身分を誇示するための消費だった。今から見たら、ファッションを楽しむとは言い難い。
ボヘミアンとイズム(主義運動):アバンギャルドという芸術の運動者達
ウィーン工房という、ウィーンの芸術デザイナー達が上流階級のファッションに対して異を唱えたことから、ファッションに芸術の融合という考えも生まれる。それは、新しいイズム(主義運動)へとタスキが渡される。パリのフォーヴィズム(野獣派)、キュービズム(立体派)、オーストリアの分離派、ドイツの表現主義、イタリアの未来派、ロシアの構成主義・・・それがシュールレアリズム(超現実主義)、モダニズム(現代主義)と続いていく。現代文化への流れがファッションに対しても大きな影響を与えていった。
ポール・ポワレ:自分の意見を衣装に反映させたクチュリエ
上流階級から、自分の意見を取り入れたはじめのクチュリエ。いわゆるコルセットを外したデザインが、当時は新しかった。ここから、上流階級とその次の階級の女性がまじわっていきます。
女性の社会進出とファッション
社会情勢と女性のファッションも無視できない。19世紀末の25年間で、女性の大学進学が許される。第1次世界対戦後、イギリス全土で女性の参政権が認められるなど、女性を取り巻く環境は激動とともに変わっていきます。仕事によっては、スカートスタイルに男性用だったハーフパンツ、スラックス、つなぎもあるわけです。この辺、本書籍で御覧ください。
アールデコ:1920年代に流行ったデザイン運動。大胆な輪郭や新素材の使用が特徴
髪をショートボブにする。人前でカクテルを飲んだりタバコを吸ったり、流行りのキャバレーに出入りして深夜までおどる。ボーイッシュなシルエット、伸縮性のあるジッパー、レーヨンといった化学繊維の誕生によって、価格もお手頃になる。この代表としてイット・ガール(セクシーな若い女性のこと)という存在が生まれる。映画女優のクララ・ボウがそのはじめ。
第二次世界大戦の間期で生まれた4人の女性クチュリエ
ジャンヌ・ランバン、マドレーヌ・ヴィオネ、ココ・シャネル、エルザ・スキャパレリ。錚々たるメンバーです。ここを堺に、女性ファッションは大きく変化していきます。デザイナーそ
れぞれ特徴的なデザインがあること。階級や身分とファッションがほとんどなくなり、デザイナー自身がモデル、広告塔もこなすときもある。デザイナーが先頭にたって牽引していく時代。
ジャンヌ・ランバン:タフタ生地のイヴニングドレス(俗にいうハリウッドスタイル)
マドレーヌ・ヴィオネ:バイアスカット(45度の角度で生地を裁断すること)
ココ・シャネル:メンズウェアをウィメンズウェアに取り入れた革命をおこす。
エルザ・スキャパレリ:シュールレアリズムの影響を受け、芸術とファッションの融合を行う。
1930年代からのハリウッド・スターとファッション
1930年代は細身で縦長、広い肩幅、そしてウェーヴのかかったショートヘアが流行ります。特に、夜のお出かけとして着用するロングドレスは、きらびやか。それはハリウッドスターがお手本。というか、モノマネに近いほどの影響力があった。上記の4人のクチュリエが、そのハリウッドスターを顧客に持っていたことからも、「映画ファン」からファッションへ流れることが大いにあったとのこと。しかし、逆はないと。
第二次世界大戦後の1947年のニュールック
戦争が終わり、衣料品の配給制のあと女性達を待っていたのはクリスチャンディオールのニュールック(女性らしい曲線の復活:肩パッドを入れない丸みのあるシルエットで、スカート丈は膝下4インチにふわりと拡がるスタイル)でした。
L-85条例による配給制で、耐え忍んできたぶん衝撃は大きく皆飛びついたそうです。19世紀風のシルエットに立ち返ることが、逆に新鮮だったことから「クチュールの黄金時代」と呼ばれる。この流れで、バレンシアガ、バルマン、ジバンシィが台頭する。
一方で、低価格ラインとして型紙の使用を許可したことがコピー品を生み、メゾンが一般大衆市場独占へと動かしてしまったこともあった。これが、パリの独裁時代は終わったと、アメリカ人バイヤー達に言われる要因になる。
そして、アメリカンルック、アメリカ的スタイル(サブカルチャー的要素が強い)が強くなる時代へと移っていく。
以下の動画で、ニュールックから、スポーツ、サブカルチャー、ヒッピースタイルが見れます。
◆1960-
プレタポルテラインの台頭
労働賃金の高騰と、顧客の中でも富裕層の減少によって、パリのクチュール(注文服)を専門に行なってきたメゾンも、若者をターゲットにした既製服(プレタポルテ)に着手しだしたのがこの頃。クチュール黄金時代の終焉。その中でも、老舗メゾンでの経験を持つ若手デザイナー達の技が光った。その1人がイヴ・サンローラン。
イヴ・サンローラン
20世紀後半最も重要なデザイナーの1人。1962年、本人の名前で立ち上げたサンローランは、メンズライクな女性用パンツスーツ、サファリルック、アフリカンで名を馳せる。既製服として「リヴ・ゴーシュ」という専門ブティックをオープンさせて低価格なだけでなく、敷居が高いクチュールとは違う自由な雰囲気を与えました。この頃から、パリコレクションもプレタポルテラインが活気づく。一旦付いたプレタポルテの灯火は、大きな炎となって拡大していきます。
アンドレグレージュ、エマニュエル・ウンガロ、パコラバンヌ、ピエール・カルダンなどは、未来、宇宙といった世界観をプレタポルテラインで表現。合成繊維、ユニセックスなど、流行の流れがどんどん速くなっていく。もはや、クチュールで本業をしているのはごくわずかになります。
ファッションは影響される側に
若い女性のパワー、百花繚乱。ミニスカートを大きく拡げたベビードールルックのツィッギー。
ウール素材シフトドレス、PVCのマッキントッシュ、スキニーリブセーターなどを世に出して若い女性から支持をうけたマリークワント。母親と同じスタイル(生活においてもファッションでも)を拒む風潮が拡がり、一大ムーブメントに。
一方で、アメリカでも1970年代になるとフィットネスブームでジャージー素材のダナキャランが話題になったりしてスポーツとファッションの関係性がアメリカで強くなります。黒人ラッパーたちが野球チームのロゴに背番号が入ったスポーツシャツ、やキャップをを身につけるようになる。一方でトミーヒルフィガーのようなお洒落なワードローブとして取り入れるブランドもあった。
サブカルチャーのトップはパンク?
1976年、ヴィヴィアン・ウエストウッドが「扇動者たち」という独創的なコレクションで「パンク」というジャンルの音楽の新境地を切り開く。
パンクは、女性にとってあらゆる面で男性と同等の権利を許されるサブカルチャーとして定着。SMをイメージしたものや、ファシストのシンボルをつけたり、徹底的な因習破壊をやってのけた。著者いわく、このパンク全盛期は、ニューロマンティック族、ゴス、レイヴ・ファン、ヒッピースタイル、グランジも勝てないだろうと述べています。
そしてパンクは、ジャンポール・ゴルチエやマークジェイコブスの作品に色濃く影響を与えていると。『i-D』『Blitz』『THE FACE』『ARENA』などの独創性豊かな雑誌は、この流れを汲んでいる。そして、これらの雑誌などの影響をうけた中にジョンガリアーノがいました。
西洋ファッションの様式美を問う1980年代
川久保玲、山本耀司、三宅一生。「西洋ファッション=美しい」という定義を見直すきっかけを与えたのが彼ら。3人の国、日本の原宿は東京におけるクリエーターの温床、勢いあるストリートカルチャーが育まれる土壌で様々なスタイルが複雑に混在する。<中略>
最近では、ゴスロリがあるが、アニメ、マンガ、ゲームのキャラクターともつながりを強める。詳細は、 日本のファッション30年が凝縮した書籍「Future Beauty」で。
国別で分けるのではない:ミニマリズム VS 鮮やかで華やか
1980年以降は、民族性はあくまでデザインソースの1つで○○風というカテゴリに収まらない。それよりも掘り下げた表現で細分化と多様化が生まれるのがこのときです。「テイスト」というもう少しデザイナーつくりあげる細部(ディテール)で判断されるのがこのとき。
ミニマリズム:カルバンクライン、ジョルジオアルマーニ、ジルサンダー
鮮やか華やか:ヴェルサーチ、クリスチャン・ラクロワ
概念論者の存在
表現が陳腐になりますが、いわばカルト的な存在にまでいったデザイナーブランドも80年代-90年代に現れます。
メゾンマルタンマルジェラ、ヘルムートラング、コムデギャルソン、フセインチャラヤン、ヴィクター&ロルフ、アン・ドゥムルメステール、アレキサンダーマックイーンなど。
主義主張の垣根を越えたところにいる。
1990年代:ポストモダニズムの後
ケイト・モスのような非常に痩せているモデルがもてはやされる時代。悪い言い方をすれば、「ヘロインシック」と揶揄された時代でもある。それは生気のない表情のモデルが廃墟のような場所で撮影するファッションが増えた。これでいいのか?と思うデザイナーも増えたが痩せすぎモデルに関する問題は今も終わっていない。
ジョンガリアーノやカール・ラガーフェルドは、「ブランドの過去の遺産」をもう一度現代にブラッシュアップして発表する形式にして賞賛をあびた。
ヴィヴィアン・ウエストウッドは、創作のベースを英国の美術館や画廊からに。生地は、イギリスの伝統、ツイード、タータンチェックを披露。
いわゆる、クラシック「定番」にひねりを加えたものとしてポールスミス、マーガレット・ハウエル、バーバリー、ラルフローレンをあげられている。ドルチェ・アンド・ガッバーナは、イタリア映画をテイストにした、ゴージャスなデザインで人気を得る。
2000年代:歴史と伝統にファストファッション、デジタルが混在する世界=自己表現としてのファッション
1960年代にはもはや重荷になっていた歴史と伝統、「ヘリテージ」。この懐古主義で逆に成功してきているブランドもある。グッチ、ルイヴィトン、エルメスに代表される。これは超リッチ層から大衆消費まで拡大してきた結果。高級のブランド大衆化の火付け役となったのはルイヴィトンのバッグ。イットバッグ(旬のバッグ)。2000年はじめは、日本では女子高生が持つという一種不可解な光景もあったが、そのくらい拡大した。
一方、エルメスのバッグといえば、モナコグレース王妃、女優ジェーン・バーキンのバッグが100万円を越える価格にも関わらず、今でも予約が続いている。
その後LVMH、PPRが吸収していったブランドに若手のデザイナーを起用して、再建を果たす。中にはミウッチャ・プラダのように、自らナイロンバッグのイメージを大きく変える提案を繰り返し、現在最も影響力のあるデザイナーとして君臨しているものもいる。
グッチの再建に尽力したトムフォードは、自分のブランドを立ち上げた後、広告塔として自ら公に出てくるし、ポスターにも彼が登場する。
広告戦略も変わっていった時代もこの時。映画スターがファッションモデルの代わりをする時代に入って行きました。レッドカーペットが相変わらずランウェイショー化しているところは、昔とある意味変わっていないかもしれない。「セックス・アンド・ザ・シティ」、「プラダを着た悪魔」などは、その一例。
そういった、レッドカーペットというだけでなく、音楽性と圧倒的な個性、存在感、デジタルの力で圧倒的な力で登りつめのがレディ・ガガ。その勢いはマドンナをも凌駕する勢い。VOGUEの表紙になることもあれば、パリコレクションにモデルとしても登場。しかし、レディ・ガガのファッションの包囲網はカオスな状態、型にはまらない自由なものとしてファンの間では認識されているだろうと。
エドワード7世時代からの100年で女性は大きく変わった
長くなってしまったのでこの辺で。最初に紹介した上流階級の貴婦人達のファッション。痩せ我慢をして、装飾品をふんだんに使った衣装を着ることこそ、財力と身分を知らしめる。そのためのファッション。それから100年、自己表現のファッション。大衆文化が今も枝別れをしてカテゴリを作っていて誰にも止められない。自己表現のファッション、ひとりひとりが主役である現代だからこそ、著者は「ドリアン・グレイの肖像」の中の言葉「人を見た目で判断しないのは愚か者だけである」と、皮肉をこめて言葉を残しています。
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